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Les HallesとRobert Doisneau

パリ1区。カルティエ・レアール。

ここはかつてパリの中央卸売市場が立っていた場所。パリジャンの神髄がここに在る。

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19世紀後半、王政復古の初期の影響が残るフランス。パリに於いても複雑な政治体勢、社会情勢の下に庶民の生活は非常に酷な状況にあった。工場制の導入により、失業者の増大と賃金の低下、食料品の高騰とあいまって、パリジャンは不安と隣り合わせの生活を余儀なくされていた。その危機を立て直した国王フィリップ・オーギュスト(Philippe AUGUSTE)。国王フォリップは、1183年、レアールに肉、魚、青果などの生鮮食品を扱う中央卸売市場を開設した。「パリの心臓」と呼ばれたパリの台所であった。

写真家ロベール・ドアノーはパリを取り続けた写真家だが、1933年からおよそ40年間、カルティエ・レアールの喧騒や変化を取り続けてきた。ドアノーが魅了されたレアールの風景の数々。

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1870年、ヴィクトール・バルタール(Victor BALTARD)によって市場の鉄枠が建設された。

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この屋根の下では日々5000人が働いていたという。

活気に溢れ、生き生きとしたパリジャンの労働姿を、ドアノーは後世に残すべく撮り続けた。様々な音が聞こえてきそうな写真の数々である。

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各々の想いや歴史をドアノーの写真を通して伝えられ、感じることができることの貴重な環境。

マルシェに残った廃棄物の中から、まだ販売可能なものを物色する人々も現れた。レアール市場の残骸を次の場所で販売する仕事が生まれた。築き上げられる歴史の瞬間。

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パリジャンの雇用の中枢となっていたレアール市場。

パリジャンの負けん気と活気の原点はここレアール市場が発祥と言っても過言ではないほどに、エネルギーに溢れ、沢山のドラマが生まれた場所だった。

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それが1971年、長い歴史に終止符が打たれ閉鎖となった。その後は地域開発が進み、現在の悪いイメージのレアールへと移り変わっていった。

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なんとも寂しい瞬間である。

現在は2016年の新たなレアール都市づくりに向けて工事中である。

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