パリから東へ500km、隣国ドイツとの境界地域であるアルザス地方。その中にストラスブールという小さな街がある。此処は12月に最も賑わう街として世界中に知られている街である。何故ゆえに、それはストラスブールとは言わずと知られた「クリスマスの街」なのだ。
ストラスブールのLe marché de Noël(クリスマス市場)の歴史は長く、始まりは16世紀であると書物に記されている。(現在は12月にフランスの各都市で開催されており、冬恒例のお愉しみになっているフランス国民に愛されたイベントとなっている。)ストラスブールのクリスマス市場は規模が壮大なため、世界中から人々が観光に訪れるフランスに於ける冬の最も人気な観光地なのだ。寒い冬に寒い地域に訪問する旅の醍醐味を感じている乙な日本人の方々もいて、観光スポットには時折日本語の案内がある。
クリスマス市場には幾つもの小屋が軒を連ね、クリスマス関連の商品を並べて販売している。その内容とは、ツリー用オーナメントやクリスマスリースやそのパーツ、la crèche(クレッシュというキリストが誕生した場面を再現した人形や小屋などの置物)、伝統菓子Le pain d’épices(パンデピス)、オーナメント用のクッキーなどが所狭しと並べられ、クリスマスムード一色となって雰囲気を高めている。勿論、此れ等以外に観光客向け商業的なものも多く存在するので、その見極めは大変なのだが、本物と商業製品を見極める目を持つことも、こういう観光地では必要な技となる。
ところでクリスマスツリーとは、一体どんな意味合いがあるものかご存知であろうか、と聞かれて初めてこの素朴な疑問に当面する人もいるのではないだろうか。
ク リスマスツリーは中世から18世紀終わりにかけて発展していったキリスト教の文化のひとつである。発祥地はクリスマス市場同様に、ストラスブールのあるア ルザス地方。教会にてキリストの誕生を祝うためにもみの木を用い、祝いの意を込めたオーナメント装飾を施すようになっていき、現在のかたちへと移り変わっ てきている。頂上の星の意味とは、イエズス・キリストの生誕の当方の三博士ベトレへムに置き換え模したものであり、またその星は伝統的に家族の一番歳下の ものが装飾を施さなくてはいけないしきたりが在る。
少しストラスブールの街について触れておこう。
ストラスブールの有名な 風景といえば、ドイツ色彩る街並。ここが一瞬ドイツなのかと錯覚するくらいドイツ式建築やドイツ語などのドイツ文化に触れることができる。それもそのは ず。17世紀以降近年まで、ストラスブールはフランスとドイツ間で略奪し合った街なのだ。ストラスブールはドイツ語でシュトラースブルクと言い、シュト ラース(街道)とブルク(街)を合わせた「街道の街」という造語で出来た地名である。歴史の中で、ドイツと何世紀もかけて戦い続け、その関係性を色濃く残 したストラスブール。フランスの中でも特殊な街だ。
旧市街には昔ながらのドイツ建築の建物が多く存在し、パリと比べるとまるで外国に来たか のような気持ちになり高揚する。旧市街にはプチット・フランス地区と呼ばれるところがあり、世界遺産に登録されている大変美しい区域である。木部分が見え る独特の建築様式は、フランスでも北部と東部でしか見られない建築様式である。ここは、16世紀初め、イタリアから戻ったフランス兵たちが持ち帰った性病 が流行したときに隔離された地域であり、同時に革の鞣し工場や漁師町で水辺のじめじめした不衛生な地域でもあった、という歴史的背景がある。
そして世界遺産のストラスブール・ノートルダム大聖堂。今でもストラスブールには、ここくらいしか高い建物は存在しない。
ストラスブールはEU欧州本会議場があるためEUの中心を担う街として、クリスマス市だけではなく政治的にも大変重要な存在となっている。
最後にストラスブールの歴史を一部ご紹介しておこう。
17世紀のストラスブール人の衣装、陶器、ガラス類。どれも田舎臭さがなく洗練されていて、ストラスブールの人々の生活がシンプルなデザインや派手な色を好まなかったかを発見することができる。これは知られていない新しい発見である。
これらの食器って日本食を盛っても良さそうな感じがする。
やっぱり煮込みものでしょうか。味噌煮みたいなものや根野菜みたいなコロコロしたものが似合いそうですよね。やっぱり日本の民芸に通じるものを感じますね。